トリアノン店主・安西由紀雄のブログ

高円寺駅前で創業52年のトリアノン洋菓子店店主・安西由紀雄のブログです。新作スイーツのお話や、昔話など少しずつですが、ご紹介したいと思います。

プロフィール

trianon

Author:trianon
トリアノン店主 安西 由紀雄
20才の時トランクを2つ持って、横浜からフランスの貨客船に乗りフランスへ菓子の修行に行きました。3年間パリで学んだ後、スイスのチューリッヒにて1年間スイス菓子を学び、日本に帰国。父の店トリアノンに入りその跡を継ぎ、現在もお客様に愛される店作りに専念しています。

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  • 昔話その8  肉

いつもご来店いただきまして、誠に
ありがとうございます。

快晴の青空は、今日までで明日は曇って、
もしかしたら雨から雪になるかもと天気予報
で言っています。
こういい天気が続きますと、雨が少し降って
くれた方が良いかもしれません。

明日2月9日は、肉の日だそうです。
私は肉が大好きで、特にレアーに焼いたのが
好物です。

またまた50年前の話の続きですが、
パリで働いていた時、賄いの食事はおいしく、
お菓子だけでなく、惣菜もレストランも営業して
いたので、コックさんが3名いて、毎日いろいろな
料理を出してくれていました。
毎日肉料理ですが、キリスト教の影響で金曜日
だけは、魚料理でした。
野菜はほとんどジャガイモで、いろいろな調理
方法で飽きませんでした。
毎日賄いの食事を食べていると、スタミナと馬力
が付くようになります。
最初の頃は先輩から、”もっと早く仕事をやれ、
早く、早く”と言われ、
”お前は経営者に雇われているんだ
から他のこと考えたらだめだ、いかに仕事を早く
きれいに出来るかだけ考えて仕事をしろ”と、
常に言われ続けられてきました。

物を探しに行けば 
”散歩しているんじゃない、しかし走るな、
速足でいけ” と言われていました。
毎日肉を食べているせいか段々とスピードが
フランス人に追いついていき、怒られることも
少なくなってきました。

しかしクリスマス近くなると忙しくなり、毎朝5時
出勤に、夜終わるのが10時になって来ました。
22日は朝4時出勤、23日24日は朝3時出勤、
これには最初の年は、参りました。
帰って夕飯食べて、2~3時間寝て、タクシーが
捕まらなかったらどうしようかとか、メトロ5駅を
走っていかないととか思い悩みました。
結局タクシーに乗れて、事なきを得ましたが
私は疲労困憊でしたが、フランス人はどうって
ことない顔をしてガンガン仕事していましたね。
肉食人種にはかなわないと、この時はつくづく
思い知らされました。
25日は、5時出勤で午後2時には仕事が終わり
社長のムッシューミッシェルとマダムシモーヌが、
仕事場にシャンパンとカナッペを持って来て、
みんなにご馳走してくれ、全員で”メリークリス
マス”と言って乾杯しました。

みんな楽しそうに飲み食いしてましたが、私は
早く帰って何しろ寝たかったです。
あの時ほど、肉食のフランス人の馬力に感心した
ことはなかったですね。
悔しいですが、彼らに負けました。

昔話をもう少し続けさせていただこうと思って
いますので、よろしくお願いいたします。

本当に、何時も拙い私の思い出話にお付き
合いいただきましてありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

   トリアノン店主  安西 由紀雄

  • 昔話その7  耳の話

いつもありがとうございます。

今日も50年前の話をさせて頂きます。

横浜から船に乗って渡欧したわけですが、
北上する黒潮に逆らいながら、1万5000
トンの船は良く揺れ最初の寄港地香港まで
の4日間は、船酔いに苦しめられました。
やっとの事で香港に上陸しても、一日中
船に乗っているようにふわふわした気分
が続きました。
同室の香港人に夕飯をご馳走になり
久し振りに気分良くおいしい料理が食べ
れました。

翌日、船はフイリッピンのマニラに向けて出港
しました。
もうそれ以降、揺れなくなったことと、なれた
せいもあり、船酔いもしなく快適な船旅が
続きました。
それで今までは入れなかった風呂に行き、
体を洗っていたら、不覚にも浴槽の中で
石鹸のせいもあったかもしれませんが、
滑ってしまい浴槽のふちに頭を、イヤっと
言うほどぶつけてしまいました。
浴槽に血が流れ、見るのが怖かったけれど、
鏡を見たら頭や顔から血が流れていたので
余計恐ろしくなり、急いで下着とズボンを
はき上半身裸で通路に出ました。
通りかった船員も驚き私の手を引いて
医務室まで連れて行ってくれました。
ちょうど医者がいて、すぐに見てくれ耳が
切れていると言う事で、そこを3針縫って
くれました。
耳がクッションになって、頭蓋骨にまで響か
なかったようです。
翌日からは、船員や乗客に会うたびに、
”どうしたの”とか”痛いか”とか、”風呂に
入る時は注意しないと”とか、言われて
しまいました。
どのくらい経ったか忘れましたが、抜糸して
包帯が取れたころには、もう誰も私の事は
見向きも、話しかけもしてくれなくなり、
普通の状態になってくれました。

しかし私は、それ以降 怖くて風呂もシャ
ワーも出来なくなりました。
船室の洗面所で洗髪したり体をふくだけでした。
今でもホテルの浴槽に入る時には緊張します。
いつも浴槽の底が滑りにくくなっているかを
確認します。
やはり何といっても肩までお湯に浸かれる
日本の風呂が一番だと思っています。

毎回50年前の話ばかりで恐縮しています。
記憶が薄れてしまう前に、何とか書いておこう
と個人的な事情ですが、どうぞお許しください。
従ってもう何回か続きます。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

    トリアノン店主  安西 由紀雄
  • 昔話その6  野菜炒め

いつも寒い中 ご来店いただきありがとう
ございます。
と言っても今日は、少しホッとするような
暖かい気候ですね。

私は、昔から野菜が好きでした。
今も夕飯に野菜たっぷりの鍋料理が、食卓
に出るとうれしくなります。
それに野菜炒めも、もちろん好きです。
ここ数年小さな貸農園を借りて、野菜を
作っているので余計に食べる回数も
増えました。
いつも健康管理してくれているお蔭もあり、
また健康な体で産んでくれた両親のおかげも
あって、大きな病気もせず風邪もほとんど
引かずに今まで過ごしてこれました。

毎回パリの時の話で恐縮ですが、パリの
お菓子屋さんで働いていた1月の初旬に、
クリスマスの仕事の疲れもあって、
風邪をひいてしまいました。
朝アパートの管理人さんに、勤め先に
病気で休む旨 電話をしてもらいました。
管理人さんが心配して、お医者さんを
呼んでくれ、処方箋を書いてもらって、
薬局まで薬を取りに行ってくれました。
その薬を飲んだら、すきっ腹のせいと
薬が強いせいもあって、胃が痛くなり
往生しました。

このとき何も食べていないので、何か
食べなければと思いついたのが日本で
良く食べていた野菜炒めでした。
なんでか無性に野菜炒めが食べたく
なって、これなら胃に優しくて元気が
出ると思い、アパートから300メートル
行ったところにある日本料理屋に初めて
何とかして行きました。
板前さんが近所に住んでいる事もあり
メニューにない野菜炒めを、特別に作って
くれました。
カウンターの隅っこに座って、野菜炒めと
あったかいホカホカのご飯とみそ汁を
食べ始めたら、おいしくて泣けましたね。
おかげで翌日仕事に行けましたが、
皆からこの時はさすがに白い目で睨まれ
ました。
同僚のみんなも疲れているのに頑張って
仕事をしているのが解るので申し訳ない
なと言う気持ちで一杯でした。

あの時の野菜炒めのおいしかった事と、
みんなが親切だったことが、今でも
懐かしく思い出されます。

もう来週には、バレンタインデーがやって
来ます。
今頃デパートはごった返しているでしょうね。
私どもはデパートさんで売っている商品の
パッケージの素晴らしさには、残念ながら
負けてしまいますが、少しでもそれに近ずく
努力はしていますし、味なら負けませんので、
是非トリアノンの店頭に並んでいる多くの
バレンタイン用のチョコレート商品も、
どうぞよろしくお願いいたします。

いつも私の拙いブログを読んでいただき
感謝しています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

   トリアノン店主  安西 由紀雄
  • 昔話その5 給料の話

いつも寒い中、ご来店いただきありがとう
ございます。
梅の花も、ほぼ満開に近く咲いて来ました。
確実に冬から春へと向かっています。
しかしまだ寒い!

今日は、昔の給料の話をします。

パリで働いていた時の給料の支払い日は、
基本的には月末に給料袋で渡され、
中に明細書と現金が入っていました。
それが良く遅配して困りました。
1日や2日でしたら我慢できるのですが、
最高で4日遅れた時には途方にくれました。
そういう時のために、お金を残しておけば
よかったのですが、金銭にルーズな私の事
ですから月末にはほとんどお金を使い
切っていました。
給料も出ないお金もない、そんな時には、
仕方なく仕事から帰って来てキャンピングガス
で鍋にお湯を沸かし、その時の為にとって
置いたスパゲッティを茹で、マーガリンと塩、
コショウで味付けしたものを、夕飯に食べた
ものでした。

しかし給料遅配で、4日間このマーガリン味
のスパゲッティを食べると、さすがに胃の
丈夫な私でさえも、胸焼けして最後には食欲が
なくなり残すこともありました。
5日目の夕方帰る時に、給料袋を渡された
時にはホッとして、これからはどんなことし
ても3日分の食費50フランだけは使わない
で残しておこうと思い守りました。
それ以来1日2かぐらいの遅配は有りまし
たが、だんだんと少なくなっていきました。

スイスのチューリッヒで働いていた時は、
一度も給料の遅配は有りませんでした。
月末になると、社長がマイクで一人一人名前を
呼ばれるので、地下の仕事場から駆け足で
3階の社長室まで急いで駆け上がります。
遅いと怒られました。
挨拶すると、机の引き出しから、今月はいくらと
言ってスイスフランのお札を、給料分並べて
私に確認させて手渡してくれました。
その時大事な事は、社長の机に手を触れない
事でした。
一度触れた時には、なぜか偉く怒られました。
ラテン系のおおらかさのあるフランスと違い、
スイスなのですがドイツ的な堅苦しい雰囲気
のある人でした。
しかしスイスでは2か月に一回づつ50スイスフ
ラン昇給してもらい大変助かりました。

個人的な話で恐縮ですが、忘れないうちに、
昔の話をこれからも書かせてください。

よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

   トリアノン店主 安西 由紀雄

  • 昔話その4 アフリカから来た人達

いつもありがとうございます。

今日は、昨日の暖かい陽気と、10度以上
も違う寒い朝でした。
暖かい服装で、出勤やお出かけされ
ましたでしょうか。

パリで仕事を初めて、いつも朝5時に
起きて速攻で用意をして、メトロに乗って
仕事場に行きました。
休みの日の朝は、ゆっくりするのですが、
7時ごろには、アフリカから来ている人達の
道路を掃除する陽気な声と、汚れを流す
ための放水の音と、ほうきで掃く音で目が
覚めます。

働いていた職場でも、旧フランス植民地の
アフリカのマリやセネガルから来ている
人たちが4人ほど働いていました。
彼らも陽気で大きな声で話すことが多く、
時々シェフに、注意されていました。

彼らの仕事は、洗い物、掃除、賄いの
食事の給仕などでした。
幸いにも私は、フランス人と同じような
扱いを受け一度も彼らのような仕事をせず、
お菓子だけを作らせてもらえました。

彼らは、流ちょうにフランス語を話しますが、
字が書けませんでした。
私がお菓子の配合を、ノートにフランス語で
書いているのを見て、
”ムッシュアンザイは、フランス語が下手なの
に何で字が書けるのか?”
と、何度も不思議そうに聞いて来ました。
私は、しゃべれる方がもっと良いと思って
いました。

彼らは、敬虔なイスラム教徒で、中庭で
お祈りをしている姿をいつも見ていました。
みんなそんな彼らを、自然な普通な事と
受け止めてました。

あの当時フランスは、社員10人につき、必ず
1名の旧植民地の人を、雇用しなければいけ
ないと聞いていました。
一緒に仲良く働いていた陽気で仕事を真面目
にしていた彼らと同じような人達が、今ヨーロッ
パに難民として必死の思いで海を渡ってくる
映像や、差別されているニュースを見聞きする
たびに、悲しい思いがして来ます。

いつも読んでいただきありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。
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